『丁場紀行』イラン丁場紀行 2018年11月出張編 No.16-1

今回で『丁場紀行』16回目の発信となります。

前回は『インド丁場紀行 第3弾 2024年12月出張 過酷移動編』を案内しましたが、いかがでしたか?

長編で読み疲れたと思います。

15丁場も視察し、紹介ネタが豊富だったので16ページにもなってしまいました。

過去最高の枚数です。多過ぎたかな?と反省しています。

 

今回は前回の予告通り、2018年11月に視察した『イラン丁場紀行 2018年11月出張編』を案内します。

視察した目的は、横浜でレッドトラヴァーチンを大量に使用する工事のご依頼を受け、

原石の調達が最大のミッションとなり、せっかくの機会なので、レッドトラヴァーチン以外の丁場も視察し、

新たに取り扱える石種があるかどうかの調査を兼ねて、矢橋社長とともに訪問しました。

私も社長もイランには初訪問で『未知の世界』に飛び込む気持ちでした。ハードなスケジュールでしたが、非常に良い経験だったと思っています。

 

前回予告した3月末時点のイランは、比較的平和な時期だったのですが、本編を書き始めた時にはイスラエルとの戦闘が始まりました。

2025年6月22日、米軍の『真夜中の鉄槌作戦』でイランのフォルドゥ、ナタンズ、エスファハーンの核施設がGBUー57(バンカーバスター)で攻撃されました。そのエスファハーン(本編で詳しく紹介)には訪問していたので、非常に気がかりです。

2018年11月に訪問した際には、イランへの経済制裁発動直後だったのですが、市民は特に困っていなくて、

これは『政府と政府の問題です。我々一般市民の生活に変化はなく、平和を祈っているだけです。』と話されていたことを思い出します。

私にできることは、訪問時にお世話になった方々が無事であり、現在も今後も平和に過ごされることを切に祈るだけです。

 

 

まず、皆さんに馴染みの薄いイランを理解して頂くための基礎知識です。

【詳しくはネットで勉強して下さい。】

 

・正式国名 : イラン・イスラム共和国 (Islamic Republic of Iran)

・面積 : 約164.8万㎢ (世界17位、日本の約4.4倍)

・人口 : 約9,157万人 (世界17位、2024年データ)

・首都 : テヘラン

・民族 : ペルシア人(約61%)、アゼルバイジャン人(約15%)、クルド人(約10%)、ロル人(約6%)、その他少数

・言語 : ペルシア語(公用語)、他にアゼルバイジャン語、クルド語、トルコ語等

・宗教 : 約99%イスラム教徒、そのうち約89%がシーア派、トルクメン人やバルーチ人、クルド人など一部の人々がスンニ派を信仰

・政体 : イスラム共和制

・最高指導者 : セイエド・アリー・ハメネイ師 〔1989年6月就任、任期は終身、地位は元首〕

・通貨 : リアル(IRR)、1円=287.3リアル(2025年7月8日時点)

・時差 : 4時間30分 〔日本の方が4時間30分進んでいます。〕

・アルコール : イスラム教の戒律に基づき、イラン内へのアルコール持ち込、イラン内での飲酒は禁止です。

 

さらに今回は、イランの歴史と文化について簡単に紹介します。

イランの歴史はペルシア帝国にまでさかのぼります。そしてペルシアの歴史は大変古いです。

現在のイランとイラクの国境のザグロス山脈の南部ファールス地方に住む人々が、その地方の名前にちなみ「ファールシー」と呼ばれ、

それがペルシアという名前につながったと言います。

なお、1935年、パフラヴィー朝の時代にイスラム以前の復古主義が高まって、ペルシアを廃止しイランという国号に至っています。

ペルシア帝国はトルコからインダス川にまで至る当時世界最大の帝国でしたが、紀元前4世紀にマケドニアのアレクサンドロス大王に征服されます。

その後、文化的にもマケドニア・ギリシャの占領政策もあって、ギリシャとペルシアの文化が融合したヘレニズム文化が大いに栄え、

その影響は中国にまで及んでいます。

いくたびの王朝の交代を経ましたが、中でも16世紀のサファヴィー朝は首都をエスファハーンに移し、大いに栄華を極めたといいます。

エスファハーンに現在も残るイマーム広場(王の広場)は、イラン文化の最高峰として世界遺産にも指定されています。(後で紹介します)

イランの人たちは、王朝は変わりつつも、3000年近く一貫して民族と土地を守ってきたという強い誇りを持っています。

1901年に国内で石油が発見され、欧露の列強から圧力を受けましたが、何とか持ちこたえてます。

また、イランの言葉はペルシア語で、他のアラブ人が話すアラビア語とは、違う言語なのです。

文字は両方ともアラビア文字で読むのも右から左へ、ですが、アルファベットはアラビア語が28文字であるのに対し、

ペルシア語は4文字多い32文字で、文法体系も異なります。

同じ漢字を使っていても、中国語と日本語が異なるように、イランの人たちは自分たちが他のアラブの民族とは違うという誇りを持っています。

この点を十分に理解することが、イランとの交渉をスムーズに進めるために必要なのです。

 

そんなイランですが、ありがたいことに日本には特別に親しい感情を持っていてくれてます。

そのひとつの理由が「日章丸事件」ではないでしょうか。

戦後、イランの石油権益はイギリスに抑えられていました。

反発したイランは油田を国有化しましたが、イギリスは海上封鎖するとイランを威嚇します。

その折の1953年、日本の出光興産が極秘に自社のタンカー日章丸を差し向け、イギリスの海上封鎖をかいくぐってイランから原油を買い日本に運びこみます。

このでき事がイラン人の称賛を集めたと言います。

また、日本のテレビ番組や映画も古くから放映されており、地理的には遠くにありながらも、文化的には身近に感じていてくれている背景もあるそうです。

最近はジブリも人気だそうですよ。

 

 

■では、本題の『イラン丁場紀行 2018年11月出張編』に入ります。

 

 ◆視察した丁場位置と飛行機移動

 ・視察丁場 :   で表示しました。合計6丁場を視察しました。

 ・飛行機移動 : 次ページの世界地図に (成田 ➡ ドバイ ➡ テヘラン ➡ ドバイ ➡ 羽田 )で表示しました。

 ・イラン内の車移動 : 都市間の移動は飛行機利用も考えましたが、案内側からイラン内の移動は車移動を勧められたので車移動にしました。

  詳細はスケジュール表に書きましたが、集計してみたら、合計 約2,240km、所要時間 約34時間でした。

 ・Wi-Fi : 日本でイラン用のWi-Fiは手配不可能なので、イランの業者にイラン国内で使用可能なWi-Fiを準備してもらいました。

 

『丁場紀行』イラン丁場紀行 2018年11月出張編 No.16-1

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◆実際に行動したスケジュールです。 *前回の丁場紀行で案内したインド国内移動と同様に車移動が多かったです。

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