『丁場紀行』トルコ丁場紀行:前編 No.5-1

今回で『丁場紀行』5回目の発信です。
3回目と4回目は『インド丁場紀行 前編・後編』を案内しましたが、楽しく読んで頂けましたでしょうか? ご案内したお客様から『面白い。』『石の教科書だ。』『次回を楽しみにしている』などのお言葉を頂き、ますますハードルが上がってしまいました。正直に申しますと、『手抜きが出来ない状況』に陥っております。
そんな中で、今回は訪問回数が19回で一番訪問回数が多い、『トルコ丁場紀行 前編』をご案内致します。
トルコ全土の丁場を訪問し、色々な料理を食べ、沢山のトルコ人と接し、色々な経験をし、またお客さんのお付き合いで多少の観光もしたので話題満載です。
*トルコ丁場紀行は長編になるので、前編(2010年まで)と後編(2011年以降)に分けて案内します。

まず、トルコを理解して頂くための基礎知識です。【詳しくネットでWikipediaをご覧ください。】 
・正式国名 : トルコ共和国(Republic of Turkey)世界的にはターキーと呼びます。
・面積 : 約781万km2 〔日本の約2倍〕
・人口 : 約8,360万人  〔2020年〕
・首都 : アンカラ 〔イスタンブールと思っている方が多いでしょうが、中央部に位置するアンカラなのです。〕
・民族 : トルコ人 〔南東部を中心にクルド人、その他アルメニア人、ギリシャ人、ユダヤ人等〕
・言語 : トルコ語(公用語)
・宗教 : イスラム教(スンニ派、アレヴィー派)が大部分を占める。その他ギリシャ正教徒、アルメニア正教徒他
・通貨 : トルコ・リラ 
・レート : 1トルコリラ=約13円 
*2005年1月にデノミ決行、1,000,000トルコリラが1トルコリラになった。(0が6個なくなった。)デノミ前は1,000円買い物するのに約16,000,000トルコリラだっだので、何回も0を数えた記憶がある。デノミ後の5月に訪問した際は、旧紙幣と新紙幣は混ざっていたので何がなんやら分からない状況でした。
・歴史 :『丁場紀行』トルコ丁場紀行:前編 No.5-1 ・日本・トルコの二国間関係 : 
①日本・トルコ関係は、1890年のエルトゥールル号事件以降(1887年に小松宮彰仁親王同妃両陛下が欧州訪問の帰路にオスマン帝国を公式訪問したことに対する答礼として、アブデュル・ハミト2世は特使としてオスマン提督を日本に派遣した際、エルトゥールル号が帰路、紀州・串本沖で沈没。乗組員581名は死亡したが、日本側官民あげての手厚い救護により69名は救助され、日本の巡洋艦によりトルコに送還された事件)以降、歴史的友好関係にある。
*この事件は、トルコの小学校の教科書で紹介されているので、トルコ人誰もが知っている。
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:前編 No.5-1②1985年3月 イラク・イラン戦争の中、テヘランで孤立した邦人を救出するためにトルコ政府が自国民救援機を2機増やし、215人の日本人はこれに分乗し、全員がトルコのアタチュルク空港経由で日本に無事帰国出来た。
*日本では、この逸話は2002年FIFAワールドカップでサッカートルコ代表チームの活躍の機に、テレビや雑誌で取り上げられて、多くの国民が知ることになった。
★この①と②の話は、2015年12月公開の日本・トルコ合作で映画化『海難1890』を是非ご覧になって下さい。
私は、実際にトルコ人の親切に触れていたので、恥ずかしながら感動の涙を流してしまいました。

前置きはこれ位にして本題に入ります。

当社がトルコ産大理石の購入を始めたのが60年程前で石種はストリアートオリンピコです。何となくギリシャ風の名称ですが、イタリア業者から紹介されたのが始まりです。後で紹介しますが現在も取扱っています。
その後はオニチアートアヴォリオ(アフィオンの方が知名度があります)、次にサロメです。
ストリアートオリンピコ、オニチアートアヴォリオ、サロメの3種は古くからのトルコ産銘石として世界的に知名度があります。
◆参考見本画像
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:前編 No.5-1 私の初めてのトルコ訪問は、1989年秋頃(約32年前)にロッソレーヴァント トゥルコの丁場視察、原石検品です。当時のイスタンブール空港は国際線も国内線も古く、国際線から国内線にガタガタの道を歩いて移動した記憶があります。
現在の空港はアジア、中東、アフリカ便を中心としたハブ空港になっており、四六時中 色々な人種でごった返しています。

近年は数回の空港テロがあったので、セキュリティーは非常に厳しく、空港内に入る時に荷物チェック、パソコンは偽パソコンで爆弾テロがあったので電源入れて本物のパソコンか確認までし、イミグレーション通過後にも同様の手荷物チェックがあり、その後に警察(軍隊風)の兄ちゃんにボディーチェック時にチケットと手荷物タグにチェック済のハンコがなければ通してくれません。色々な空港を利用しましたが一番厳しいように思います。
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:前編 No.5-1 訪問したエラジク市の村では、初めて来た日本人ということで、何故だか村長主催の夕食会を開催してくれて歓迎してくれました。丁場の記憶は鮮明には覚えていないのですが、案内してくれたトルコ業者の人が、折角トルコに来たのだからと言って本場のハマム(トルコ風呂)に案内してくれました。一般市民が使用する中級ハマムで、浴室全体が蒸し風呂のような感じでした。
石の上に寝転んでボ~~~っとしていたら、ターバンを巻いた大男(痩せたハクション大魔王のようなオジサン)がやって来て、浴室で垢すりをしてから、別室に連れて行かれマッサージを受けました。マッサージというよりはプロレス技(サバ折固め)と関節技を掛けられて呻いていた記憶を今でも覚えています。・・・・・ 初トルコはそんなことだけが記憶に残っています。
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:前編 No.5-1
その後、10年程訪問する機会がなかったのですが、トルコ自体がEU加盟候補国に決定し経済成長を歩み出すのとほぼ同時期の2000年少し前からイタリア業者によるトルコ材開拓が始まりました。その背景にはイタリア産ベージュ系大理石(ボテチーノ他)の品薄と高騰でスペイン材を開拓し、スペイン材が枯渇し、トルコ材の開拓に進んだイタリア人の意志と根強いベージュ嗜好がが根本で、トルコ産ベージュ系大理石を世界に紹介し始めました。当時のイタリア業者の多くは、トルコ産という産地は表に出さないで紹介していたのですが、スラブや製品を購入する場合は、イタリアの工場から出荷されるため産地に行く必要がないのですが原石を購入する場合は丁場で検品するので産地を公表しなければなりません。産地がトルコ産と分かれば、何もイタリア業者から購入する必要がなく、懇意にしているトルコ業者の案内で丁場に行く事になり、それで2001年からの丁場訪問が始まりました。

上記のようにトルコ産大理石が見直され、新石種が紹介され始めたので2001年から訪問再開し、今まで合計19回も訪問しています。訪問した石種は50丁場以上ですが、全てを紹介するのは書く方も読む方も大変なので、19石種に絞ってご紹介します。
今回(トルコ丁場紀行 前編)は、9石種をご紹介します。(後編に10石種を紹介します。)

ご紹介する19石種の産地を地区別に分けて、トルコ地図に記載したのが下記地図です。
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:前編 No.5-1①~⑨の9石種(紫太文字石種)は、今回(トルコ丁場紀行 前編)で紹介します。
★⑩~⑲の10石種は、次回(トルコ丁場紀行 後編)で紹介します。

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