『丁場紀行』トルコ丁場紀行:後編 No.6-4

アヤソフィア大聖堂 : 
世界遺産 イスタンブール歴史地区を構成する建築物
トプカプ宮殿前にそびえる巨大な大聖堂。2つの宗教(ギリシャ正教とイスラム教)のはざまで揺れ動いたイスタンブールを象徴する建造物です。最初の聖堂は360年 ローマ帝国のコンスタンティヌス2世によって建造されたが、404年の暴動で焼失。
その後415年にテォドシウス帝によって再興された寺院も532年のニカの暴動で破壊され、現在の寺院はビサンチン帝国の全盛期を現出したユスティニアヌス1世が威信にかけて再建し、537年12月27日に盛大な献堂式が執り行われ、約900年間はギリシャ正教の総本山であったが、1453年 ビサンチン帝国がオスマントルコに征服され、首都のコンスタンティノープルがイスタンブールへと改名されると同時にアヤソフィアもイスラム教のモスクへ生まれ変わることになった。
外部は赤レンガとキュフェキ。内部床はストリアートオリンピコ、内部壁は様々な国(不明確)の大理石を使用されており、石屋としての驚きの連続は『巨大な石割と、この時代に完璧なブックマッチ(展開模様合わせ)してる!!』でした。
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:後編 No.6-4地下宮殿(イェレバタン・サライ) : 
世界遺産 イスタンブール歴史地区を構成する建築物
ビサンチン帝国時代に造られたイスタンブール最大の貯水池。レンガ造りのアーチとドーム、整然と並ぶ円柱がまるで宮殿のようだったことから地下宮殿と呼ばれるようになった。527~565年にかけて水の安定供給にためにユスティニアヌス帝によって建造された。巾70m×奥行140m×高さ8m=約80,000m3の貯水力があったと言われている。一番奥の2本の柱の下には、大理石(トルコ産と思うが石種不明です。)のメドゥーサの首が1つは逆さ向き、もう1つは顔を横たえている。 柱は石(白、緑等で石種不明)が多かったが、柱頭は装飾的な加工がされており、貯水池には立派過ぎる印象だった。
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:後編 No.6-4グランドバザール : 
世界で一番大きく、最も古い市場(バザール)
イスタンブール旧市街中心にある巨大な市場(バザール)。約3万m2にもおよぶ敷地全体がいくつものドームで覆われて、4,000とも5,000とも言われる店舗があり、貴金属、皮革製品、象嵌細工、彩色陶器、食料品、布地、絨毯、日用雑貨、お土産などなど所狭しと並べられている。バザールという言葉からどの商品も安い印象を受けるが、実際はそれほど安くなく、特に観光客が詰めかけるようになった近年は高くなったそうです。懇意のトルコ人からは『あそこは高いから、あそこで買い物したらダメよ。』と釘さされた。特に中国人の観光客が増えてからは、東洋人を見掛ると『ニーハオ』。
2012年に行った当時は日本人観光客が多く、東洋人を見ると『こんにちは』だったのに現金なもんです。
中国人は値切りまくるから値切られ分を上乗せしてるので、初めの価格は高く設定しているのだろう。
入口の門は20ヶ所ほどあり、全て見ていないが殆どがキュフェキを使用している。
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:後編 No.6-4パムッカレの石灰棚とヒエラポリス遺跡群 : 
トラヴァーチンのウンチクで紹介しているパムッカレです。
パムッカレとはトルコ語で『綿の宮殿』という意味。『綿』とあるのは昔からこの辺りが綿花の一大生産地である事による。
解説は二酸化炭素を含む弱酸性の雨水が大地を作っている石灰岩中に浸透し、炭酸カルシウムを溶かした地下水となる。
その地下水が地熱で温められて地表に湧き出て温泉となり、その温泉水から炭酸カルシウムが沈殿して、純白の石灰華段となった。遠くから見ると純白ですが、近づくとと薄汚れている部分が多いです。東京支店 西澤副支店長との出張時のトラヴァーチン原石検品後に業者が『私もパムッカレを歩いた事がない。まだ間に合うから行くぞ~~。』と誘われました。
私と西澤さんは検品後なので揃いの作業服姿、靴はビニール袋、足元は裸足、どう見てもゴミ拾いのオジサン2人でした。
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:後編 No.6-4ヒエラポリス遺跡は、パムッカレがある丘の一番上にある遺跡。ローマ帝国の温泉保養地として栄えた。ローマ帝国時代にも地震で破壊されたが、その後復興。しかし1354年の大地震で完全に廃墟となった。ローマ劇場は原型を留めている。
地元のトラヴァーチンと白大理石を使用。近郊のMUGLAの白大理石と思います。
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:後編 No.6-4 本家パムッカレの近くに、殆ど知られていない洞窟内にあるミニパムッカレがあります。2000年発見のカクルック洞窟です。こじんまりしていますが神秘的な空間でした。
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:後編 No.6-4ボスボラス海峡クルーズ : 
聞こえは良いですが乗合船で2時間程のクルーズです。お勧めです。
ボスポラス海峡とはイスタンブールの街を東西(アジア側とヨーロッパ側)に分断している海峡で、北側の黒海から南側のマルマラ海、その先のエーゲ海に船で出るには、この海峡以外に通り道がないため、海上交通の要衝として歴史的にもトルコ経済(通行料収入)にも重要な意味を持っています。
帰国前の時間つぶしをしていると、この海峡クルーズを見つけました。2時間程度で約500円程度だったので、時間つぶしにはもってこい。どうもショートコース(エミノニュ港を出発してメフット大橋の下で折り返すコース)だったようです。写真のような船でデッキに座り、チャイを飲みながら潮風にあたってボ~~~~っとして、時々ウトウトしていました。
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:後編 No.6-4スレイマニ・モスク : 
世界遺産 イスタンブール歴史地区を構成する建築物
旧市街の高台にある巨大なモスク。オスマン帝国の最盛期の最も偉大なスルタンといわれるスレイマン1世の命により1550~1557年の建造されたオスマン帝国繁栄の象徴ともいえる建造物です。それだけに外構の塀、外構床、建物の外壁、内壁、巨大な柱とあらゆる部分に石材(基本はキュフェキとストリアートオリンピコ)が使用されています。特に中庭の丸柱には、白大理石(ストリアートオリンピコ)、赤御影石(エジプト アスワン産 オベリスクに使用例が多い)、グレー御影石(産地不明)、赤斑岩(産地不明)、緑大理石(たぶんギリシャ産)など色とりどりの石が使用されています。
約470年前の建造ですが、その材料は征服時に持ってきたのか?どのように加工したのか?どのように施工したのか?
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:後編 No.6-4ドルマバフチェ宮殿 : 
世界遺産 イスタンブール歴史地区を構成する建築物
トプカプ宮殿を建造したメフット2世によって造成された庭園に、アブデュルメジト1世の命で1845年着工~1856年に完成した豪華絢爛な宮殿。1922年に最後の皇帝メフメット6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮であった。
皇帝が退去したのちは政府の迎賓館として使われ、現在は観光客の見学に開放されている。
外壁はキュフェキで凄い彫刻が圧巻。内部は凄く豪華で金ピカだらけと巨大シャンデリアに圧倒されたが撮影禁止で写真なし。
『丁場紀行』トルコ丁場紀行:後編 No.6-4今回も長くなりましたが『トルコ丁場紀行 後編』を終了します。この紀行時期はコロナもなく、世界が平和でしたが、現在は暗い世の中になっています。早く世界中の人々が笑顔になるように祈りましょう。
次回は『中国丁場視察出張で一番過酷だった丁場紀行』をお届けします。
ありがとうございました。

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