『丁場紀行』ヨーロッパ丁場紀行 前編 No.19-3

【第3回】ポルトガルライムストーンを訪ねて

 

■■次に2016年9月、ギリシャ視察後にポルトガル産ライムストーンを調査した出張時の案内と、皆さんがよくご存知のポルトガル材を紹介します。

 

■その時のポルトガル滞在スケジュールは、下記です。

 

『丁場紀行』ヨーロッパ丁場紀行 前編 No.19-3

 

 

『丁場紀行』ヨーロッパ丁場紀行 前編 No.19-3

 

◆モカクレーム、モカレルヴィンハ

 

丁場はリバティージョ地方 アルカネデ州 サンタレン県のセーラス・デ・アイレイ・カンデイロス自然公園の中のペータペドレイラ村とコダザール村に点在しています。

 

ポルトガル産ライムストーンで多くの建築物に採用された石種なので、ウンチクを述べたいと思います。

 

モカクレーム/モカレルヴィンハは、貝殻、ウミユリ、石灰藻などの細かく砕けた破片と砂などの堆積物が積もってできた層状構造(葉理)です。

 

*葉理(ヨウリ):

地層の中に見られる堆積環境を反映した細かな縞模様です。静かに堆積した平行なものと、堆積時の水流や波の流れなどによって堆積物が移動し、斜めに交わっているものがあります。この葉理がモカクレームとモカレルヴィンハの縞模様です。

 

モカクレームの地層(丁場)は、基本的に上部が粗目、中間が中目、下部が細目です。

 

*丁場の中には、粗目~中目が氷河期に流され、上部が細目の丁場も存在しますが・・・・

 

モカクレームが世界的に流通し始めたのは粗目(現地ではモカクレーム・クラシコと称される)が早く、当社はいち早く取扱いを始めたので、当社のモカクレームは『粗目』です。

 

よって、現地でも本家本元のモカクレームは『粗目』を示します。

 

その後、採掘が下に進み、中目~細目が産出され、当社は『細目』も取り扱うことになり、細目を粗目と区別するために『モカレルヴィンハ』と称しました。

 

一方、他社はモカクレームの『細目』を最初に紹介されたので、『細目』をモカクリームと称し、その後、粗目も存在する事が分かり(当社のモカクレームは粗目なので)、細目と区別するために『モカクリームダーク』と称しています。

 

*地球素材のカタログは会員全体が分かるように、細目を『モカクリーム』、粗目を『モカクリームダーク』と称しています。

 

『丁場紀行』ヨーロッパ丁場紀行 前編 No.19-3

 

◆丁場視察後に昼食です。

 

地元で人気のレストラン(シェラスケリア:ブラジル元祖料理のシェラスコを提供するお店)で、レストラン推薦の料理を頂きました。

 

夕食なら肉の串刺し料理を食べたいところでしたが、非常に美味でした。

 

 

『丁場紀行』ヨーロッパ丁場紀行 前編 No.19-3

 

◆ブランコドマール

 

流れのないモカクレーム、モカレルヴィンハのイメージで、ベージュ系ライムストーンとして国内でも流通した石種です。

 

本家本元の丁場は閉鎖となり、モカクレームと同じ地区から産出する『流れのない粒々タイプ』をブランコドマールと称しているようです。よって、業者によって丁場が異なります。

 

訪問時に視察した丁場はペータペドレイラ地区の丁場です。当時は粒柄の多いタイプと細いタイプがありました。

 

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◆シェニートモンチーク(SIENITO MONCHIQUE)

 

丁場はリスボンより南に約260km(車で約3時間)のMONCHIQUE近郊に位置します。

 

1970年~1990年代まで日本で絶大な人気のあった石種です。

 

現在は外部使用でのポップアウト問題で需要がほとんどありませんが、一世を風靡した石種なので詳しく紹介します。

 

代表的な施工例は、

・日本銀行本店別館(東京)

・日本銀行大阪支店(大阪)

です。

 

SIENITO(ポルトガル語)は閃長岩、MONCHIQUEは地名。よって直訳では『MONCHIQUEで採れるSIENITO(閃長岩)』です。

 

採掘開始当初の丁場主は、カルロスビダラルガ社。当社の扱いは古く、初入荷は1968年頃です。

 

丁場紀行初回で少し触れましたが、私の最初の丁場訪問は1986年12月で、このシェニートモンチークです。

 

訪問時に丁場社長から説明を受けたのは、『この石はグラナイトでなく、シェニート(SIENITO)という分類であり、クオーツ(石英)が含まれていない石です。』でした。

 

発売当時は安価でしたが、日本の需要が爆上がりし、価格もどんどん値上げされても日本に売れて、丁場主は天狗になり、スラブ販売を目論み、丁場近くにガングソー工場を建設しました。

 

その後も原石価格が上がっても設計者の指定が多く、需要は減らなかったのです。しかし、問題は毎年の原石価格上昇で、価格想定が読めませんでした。

 

その頃に外部の本磨きのポップアウトが大きな問題となり、一挙に日本での需要が少なくなりました。

 

丁場から原石で売れていたのは、大部分が日本のガングソー所有の石材店であり、イタリアへ販売された原石はスラブでの日本販売でした。

 

よって、この石種はポルトガル国内での需要もなく、日本以外の国の需要も少ないため、坂を転げ落ちるように衰退したのです。

 

その後、カルロスビダラルガ社は息子が後を継ぎ、しばらく細々と採掘していましたが、どこかの会社(会社名は忘れました)に買収されました。

 

現在もその会社が細々と採掘しているらしいですが・・・・真相は知りません。

 

『丁場紀行』ヨーロッパ丁場紀行 前編 No.19-3

 

▶次回【第4回】ポルトガルの銘石と世界遺産の街・ポルト編 につづく

 

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